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2003年11月10日(月)
朝:青経巻 いむら家:青経巻・仏説観普賢菩薩行法経
が導きさせていただいた東京の、まつながよしろーさんから、今回の私の大役である「いまを生きる私たちの主張」の実行委員長として、縁のある支部長さんの家へ伺い、頭をさげて、お経を上げてさせていただき、当日の安全・天候・内容を念願させていただくことが、実行委員長とお役であり、そのように頭をさげることが、「さんげの行」だから早急に実行した方がよいと電話を頂いた。
さっそく、実行委員会のメンバーである、さかい支部長さんの家に昨日お邪魔させていただき、青経巻をあげさせて頂いていた。そんなときに、せきぐち教授から、いむらさんのところへもいくんですよ。と言われていた。
いむらさんとは本当に、不思議なものすごい縁があって大変お世話になっていたのに、その縁を私から10年前に切ってしまっていたのである。
その深い、深い縁とは私は東京でせきぐち教授にこの大法にお導き頂いたのであるが、その5年後に福岡へ戻り、就職先が決まり、住む家を探していたところ、安い家賃で借家を貸して頂いたのがいむらさんであった。つまり、大家さんにあたるわけだが、ほとんど家が隣接していたので、仕事から帰ると食事は頂く、サウナ風呂も頂く、という家族の一員となっていた。
ところが、驚くことなかれ、そのいむら家は霊友会の大支部長の家だったのである。不動産屋で見つけた家が、偶然、大支部長の家だったのだ。私はこの縁に驚くとともに、甘え過ぎた生活を送っていた。
さらに驚愕した事実はあとになってわかったことであるが、私を導いてくださったせきぐち教授が、学生のころに、熊本での霊友会の行事とために2カ月間逗留し、水行やいろんな修行をしこまれた家でもあったのだ。この偶然には、さすがの教授も、霊界はすべて道をつくっている。と驚かれ、霊界は完璧なのだ。
とおっしゃっていた。
私がいむら家のとなりに住ませて頂いたおかげで、せきぐち教授といむらさんと縁が再び、2世に渡りつながったのだ。そんな、いむらさんと縁を私は10年前に、いとも簡単にきってしまっていたのだ。
今日は職場にいろんなところから、弟の件で緊急な連絡が相次ぎ、暗い気分になったけれど、
「私が行動を起こさないと。ピンチはチャンスの姿を変えたもんだ。」と思い直し、早めに職場を出てその処理へと向かった。それを終わらせ、私のHPをご覧になった、京都の方から、青経巻を頂きたいとのメールを頂いていたので、インナートリップセンターへ向かい、青経巻を購入した。
そうして車を運転していると、なぜか、ぴーんと直感らしきもので「いむらさん」という言葉が
浮かんできたので、電話をさしあげると、10年前と同じ元気な声で
「何人来るの?ごはんは何がいい?」とやさしい言葉だった。
私は 「いやいや、今回は実行委員長としてお経をあげさせて頂き、当日の成功を・・」と
言ったけれども、「何、言ってるの、ごちゃごちゃ言わないで早くおいで。」と10年ぶりにお邪魔した。
いむら家ではおばあちゃまがおなくなりになっており、私は御法座に青経巻だけでなく、今までの失礼とさんげをこめて、「仏説観普賢菩薩行法経」を長い時間になるけれど、上げさせてもらった。当時お世話になった記憶やいろんな思い出、自分の不徳さ、など当時のことが次々と思い出された。
お経が終わり、食事を頂きながら、厳しいながらも、問題解決のためのいろんなお話しを頂いた。あっという間に時間が流れ、もう10時。月曜だというのに、迷惑をかけどうしだ
というのに、10年間ぶりだという空気は何ひとつなく、当時のままの会話だった。さらに、御旗拝受のときの写真や娘さん、息子さんの結婚式の写真、家族の七五三の写真なども見せて頂き、本当にありがたいことだと感じた。
家に戻り、早速、せきぐち教授に今日の大きな復縁を電話で報告させていただいた。
せきぐち教授は
「今日の会見は大きな意味のあるものです。これは両家にとってのことです。九州を治めるような大支部長とそんなに簡単に家族づきあいでいないんですよ。また、いむら家にとっても、これから、あなたの修行を必要とするときがくるのです。あなたが、考えている以上に大きな、 大きな意味のある復縁ですよ。」
と言われた。
また、まつながよしろーさんにも、報告をして、彼の言葉からも意味の深いことを感じた。
こんなとき、本当に自分が導いた会員がこのように助けてくれると、また強く感じた。
http://members.at.infoseek.co.jp/macinlove/index-2.html
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