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風になったマンドリン界のドンキ・ホーテ

 投稿者:藤掛廣幸  投稿日:2009年 6月 8日(月)22時00分47秒
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  風になったマンドリン界のドンキ・ホーテ

「一本の大木から全てのマンドリン属の楽器を作り合奏する」

という夢を熱く語り、八ヶ岳の山に入って材料を購入し

制作に取りかかっていたマンドリン制作家・横内紀夫さんが、

これから新緑が芽吹き始めるという2009年4月、ついに土に還ってしまいました。


今年の正月、7回にも渡る手術を無事に終えて退院した、と

電話があった時は弱々しい声で、やっと話せるような状態でしたが、

3月の終わりに電話で話した時はとても元気な声で、

このまま回復してくれるものと信じていました。

「伴奏するから久しぶりに演奏しようよ」と言うと

「ずっと楽器を弾いていないからな」といいながらも嬉しそうでした。


亡くなったという電話をパートナーの女性からもらったのは4月6日でしたが

「藤掛と一緒にコンサートをする時に着る良いタキシードが見つかったぞ」

と、とても嬉しそうだったとの事。

もう一度、自作の楽器「花子」の透き通った音を聞かせてもらう事の無いまま

悠久の大地に還って行きました。



私がマンドリン曲の作曲をするようになったのは

横内さんとの出会い無しには考えられません。

心の奥底を見通すような鋭い目つきをした彼に会ったのは

私が20歳代の初めでした。

「オレの作ったマンドリンの為に作曲してくれ」と頼まれて作曲したのが

私とマンドリンとの初めての出会いでした。

ちょうど同時期に、横内マンドリンの音の素晴らしさに惹かれて

広島から楽器を注文していた桧垣尚文さんとの出会いも

多くの作品を書くきっかけになりました。

私が忙しくて桧垣さんからの作曲依頼を断ると

「断るんじゃない。こんな素晴らしい人を裏切るんじゃない。」

と言ってマンドリン作品を作曲させたのも横内さんでした。

その後、多くの素晴らしいマンドリン関係者との出会いがありましたが、

このような機会を作ってくれた横内さんには本当に感謝しています。


人間社会では「本音と建前」というスタイルが普通によく使われますが、

彼はそれを極度に嫌いました。

いつも全て本音でぶつかって行きました。

その為あちこちで問題を引き起こす事もありました。


初代日本マンドリン連盟会長の伊東尚生先生が、自分で指揮をする

岐阜マンドリンオーケストラを主催していらっしゃって、横内さんも

そこの主席マンドリン奏者だったのですが

「指揮者だけ変えたら、このオーケストラはもっと良くなるので

変えた方が良いと思います」と直接、伊東先生本人に言ってクビになったそうです。

心で思っても直接口には出さない人がほとんどだと思いますが、

彼は感じたままを口に出すのは「当たり前」と思っていたようです。


現在は全て消費税になりましたが、それ以前は「マンドリンは贅沢品だ」

という事で「物品税」が掛けられていました。

「それはおかしい」と言って反旗を翻し税務署を敵に回した為、

裁判になり、私も彼の弁護をする為に証人として裁判所の法廷に立ちました。

絶対に勝てるはずはありませんが、まさに見果てぬ夢を追いかけて

風車に体当たりする「ドンキ・ホーテ」そのままのような生き様でした。


「直感で物事を捉える女性の感性こそ素晴らしい」と言って

自作の楽器に「花子」という命名をしたのみならず、自身も

「横内の花子」と名乗っていました。

野武士のような髭面からは、どう見ても「花子」という名は似合わないのですが、

本質を直感的に捉える事の出来る女性ファンも少なくありませんでした。

「一本の大木から作られたマンドリンオーケストラが完成したら

作曲と演奏面で全面的に協力するからな」

「早く完成しないと骨になっちゃうぞ」と言っていたのですが、

残念ながら夢はそのまま風になってしまいました。

「ついに大木に負けたな」と私が言えば、彼からは

「勝てるはずなんかないぞ。自然は大きいからな」という答えが返って来そうです。


その生涯に何台の楽器を作ったのか分かりませんが彼の楽器は、

その制作者の眼の輝きそのままに嘘の無い素晴らしい音を奏でてくれます。

その音を聞ける機会のある人は是非、横内紀夫という一人の男が

命を懸けた音を、心して聞いてみて下さい。

http://www.Muse-Factory.com

 
 
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